「ベルベット様、おはようございます」 「おはようメリル」 「ご機嫌はいかがですか?」 メリルの問いに、ベルベットはただ微笑むだけ。 「出かけてきます」 「・・・・・・気をつけて行ってらっしゃいませ」 軽やかな足取りでプーカの地下街を出て行ったベルベットの背中を、メリルは複雑な想いで見送った。 今もなお、心の中で何かに苛まれ続けている姫の悲しげな背を。 心の笑顔 「・・・・・・」 「よぉ、ベルベット」 「・・・イングヴェイ」 深い深いイルリットの森の奥の池のほとり。 座り込んで池を眺めていたベルベットに声をかけたのは、彼女の片割れであった。 「お前、ここ好きだな」 「えぇ・・・心が落ち着くわ」 「・・・・・・」 木々の深緑をそのまま映す水面は色鮮やかで、朝の涼味を帯びる空気と混ざり心地良い。 しかし、ベルベットの横に立つイングヴェイの顔は、晴れやかなものではない。 「・・・一時の平穏なんて、何の慰めにもならない」 「・・・・・・」 「いずれ・・・運命は俺達を呑み込むだろうよ」 ベルベットは立ち上がる。 視線は水面に落としたまま。 「・・・・・・わかっています」 フードにより陰ったベルベットのよく見えない表情を見つめてから、イングヴェイは去った。 ・・・わかっています・・・お母様・・・ 肌身離さず持ち歩いている、真紅の刃を携えた鎖を見つめて、亡き母の姿を思い浮かべる。 お母様は・・・本当に私達を呪ったのですか? それが・・・運命なのですか? 答えるはずもない鎖が、風に揺れて光る。 それは、問いに対する肯定に思えた。 それでも、今は、昔よりもいくらか心にゆとりがあるように思える。 祖父から受け続けた仕打ちを思えば、自由になれたと思っても良い。 でも・・・ 帰るところはないわ・・・ ただ彷徨うことしか許されぬ亡国の民。 魔王の都市、妖精の王国や、大国タイタニア。 死の国でさえ、帰るところがあるというのは幸せなことだと思う。 地下の街にも住み慣れたものだが、誰かに見つかりはしないか、と日々脅えている。 決して、心から落ち着ける場所とは言えないのが事実だ。 でも、私は愛する人達と共にあることができる・・・ それだけでも幸せなこと・・・ メリル、師クロイツ、他のプーカ達も皆。 生まれてから片時も離れたことのない兄もいる。 自分は恵まれていると考える度、陰鬱な想いがよぎるとしても。 陽が大分登り、森に暖かな光が差し込む。 池の水や、枝葉に宿る露が光に照らされて輝く。 また池のほとりに座り込み、ベルベットは考える。 私は・・・自分は幸せだと言い聞かせているだけ・・・ 運命の恐怖から少しでも逃れようとしている・・・ わかっていた。 自分は逃げようとしているだけだと。 こんなの虚しいだけだと。 今までの経験全てが必然だとするならば、これから降りかかるであろう母の呪いもまた、運命。 いくら逃げても追いかけてくるだろう。 回避する術などありはしないだろう。 運命・・・なんて・・・ その時、唐突に大きな音がした。 何かが池に落ち、激しく水が弾ける音だった。 「な、なに・・・かしら」 気になって、ベルベットは音のした方に向かう。 近づいてみると、どうやら人のようだ。 頭からすっかりずぶ濡れになっているその人は、池から這い出て息も絶え絶えだ。 「あの・・・あなた、大丈夫ですか?」 「え、あ、はい!・・・足を滑らせてしまって・・・」 立ち上がるのに手を貸してあげると、その人は恥ずかしそうにすいませんと言って手を取った。 見ると、流れる金の髪と、端整な顔立ちの男性。 こちらが気おされる程の実直な瞳に見惚れるのを禁じえない。 「身分ある方のようですね」 「はい。私はタイタニアの王子、コルネリウスと申します」 「タイタニアの・・・」 同じ王子という立場のイングヴェイとは正反対の人だと思った。 比べたら怒られてしまうだろうけど。 コルネリウス様・・・ 「そのようなお方が、何故このような森に?」 「それが・・・」 コルネリウスは、父に縁談を迫られ逃げてきたのだと話した。 「私は、結ばれるならば愛する方が良いのです。親に勝手に決められた相手と婚姻するなど・・・。なんとか父上を説得せねばなりません」 素敵な方だ、という想いがベルベットの胸を占めた。 自分にはないものを持っている人。 この方は、確かな自分の想いを持って、自分の力で道を開こうといているのだわ・・・ 誰に縛られるでもなく、自らの信じる道を・・・ ただ流されてきた自分とは違う。 「そもそも私の父上は・・・うわあッ!?」 「コルネリウス様ッ!?」 話しながら歩き始めたコルネリウスは、再び激しい水しぶきを上げて池に滑り落ちてしまった。 よほど足場が滑りやすいのか、それとも彼の不注意なのか。 「うう・・・また落ちてしまうとは・・・」 「ふふ・・・」 ベルベットはクスクスと笑い始めてしまった。 あまりにも真っ直ぐな人の、あまりにも間が抜けている様子が、とてもおかしかった。 「笑うことないではありませんか・・・」 「すいません・・・でも、おかしくって・・・ふふ」 止まらぬベルベットの笑いにつられて、コルネリウスも笑い始める。 もう一度手を差し出して、立ち上がるのを助ける。 すると、コルネリウスは繋いだ手を放さなかった。 「コルネリウス様?」 「貴方に暗い顔は似合いませんね。笑顔の方が何倍も美しく輝いていますよ」 「え・・・」 純粋な笑顔で恥ずかしげも無く言うコルネリウスの言葉に、ベルベットは顔が熱を帯びるのを感じた。 あぁ・・・でも・・・なにかしら、この気持ち かつて感じたことのない想いが胸に溢れるのがわかる。 思えば先程までの沈んだ感情など、どこにもありはしなかった。 変わらず繋いだままの手は優しく、そこから心の内すら伝わってしまいそうなのが少し恐ろしかった。 「あの、よろしければ、貴方の名前を聞かせてくださいませんか?」 「ベルベット・・・ベルベットといいます」 「ベルベット・・・」 一語一語を吟味するように紡ぐ。 「良い名です。貴方にとても似合っている」 「・・・ありがとうございます」 彼の落ち着いた優しい響きの声は、魔法のように言葉を紡ぎ、ベルベットの胸を一方では騒がせ、一方では安らぎを与える。 「・・・そろそろ行かなくては・・・。このままでは風邪をひきかねない」 「ふふ・・・そうですわね」 名残惜しそうに繋いだ手を放し、コルネリウスはベルベットから少し離れた。 「ベルベット・・・もし、またここに来れば、逢えますでしょうか?」 「・・・・・・」 言葉に詰まった。 私も、できるならばまたコルネリウス様とお逢いしたい・・・ でも私は・・・ しかし、胸を占めるコルネリウスへの様々な感情は、いとも容易く他の感情を押し退けた。 「はい・・・私はいつでもこの森にいます」 「良かった」 子供のように嬉しそうに笑ったコルネリウスの顔が、ベルベットの目に焼きついた。 「おかえりなさいませベルベット様。・・・・・・?」 「私の顔に何かついているかしら?」 「いえ・・・ただ・・・」 メリルは不思議そうに、しかし一方ではどこか嬉しそうに答える。 「ベルベット様・・・とても表情が明るくなられましたよ。なにかいいことでもあったのですか?」 「え・・・」 いたって普段通りのつもりだが、どうやらメリルにはなにか感じるものがあったようだ。 ベルベットは、遠い昔に忘れてきた笑顔を取り戻していた。 「そうね・・・とても素敵な方に出逢ったの」 こんなにもただ一人の人に心を奪われることがあるのだと初めて知った。 しかも、今日初めて逢った人に。 不思議に思いつつも、何故か心のどこかでは、それが当然だと思っている。 運命だというの? 今まで自分に降りかかってきたものが全て運命だったのなら。 彼との出逢いもまた、運命なのかもしれない。 偶然という必然の運命なのだ。 偶然は必然で、必然は偶然で。 呪われた宿命すら受け入れられるのならば。 「抗うことも・・・できるのですね」 彼のように。 ただ流れに身を委ねているだけでは駄目なのね・・・ きっと私にもできるわ・・・ 抗ってみせる・・・運命に コルネリウスの安らぐ笑顔を思い浮かべて、心に力を蓄える。 傍らのメリルが、幸せそうに微笑んだ。 END 2007年11月執筆 2008年2月修正 このお話が初めて書いたオーディンスフィアです。 インメル至上主義とか言いつつコルベルだわーい!あんまり需要がないような気がするわーい! でもコルベルも素敵ですよね?ね? しかし私にはポエム能力がないので、コル様がポエムを語らない…もちろんオズワルド様なんてもっと無理! 頑張れ自分。ポエムぐらいポエムぐらいポエムぐらい……自爆 2008年2月15日 |